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2009.02.24 Tuesday

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【ラオス】トラブル続きの長時間移動。 (ルアンナムター〜ファーサイ)

2005.03.15 Tuesday

「キー!」朝起きたらイモリが部屋の中で鳴いていた。寝る前窓を閉める前にどうやら入ってきたらしい。今日は長時間の移動だわ。

7時40分ごろ、ちょっとバスターミナルの様子を見に、宿を出た。昨日ファーサイへのバスの出発時間をバスターミナルで確認したところ、9時半と書いてあったが、宿の時刻表には出発時刻が8時半〜9時半と書いてあったので、どっちが正しいかわからず、とにかくバスターミナルに確認しにいくことにした。チケットブースに行き、行き先を告げると、もうチケットを発行していた。バスの停車場所を聞いたら、目の前のバスを指差された。でも行き先が「ファーサイ」ではなく、「BOTEU(ボテウ)」っと書かれている。まだ到着していないのかな?ついでに出発時刻を聞いてみたら、「8時半かも、9時かも」って言われた。あいまいな答えだったが、出発が9時半でないことがわかったので、私は大急ぎで宿にもどり、荷物を取りに帰った。

チェックアウトを済まし、だいぶ重みを増したザックを背負って私は再度バスターミナルへ戻った。チケットブースのお兄ちゃんに聞かれたとおりのバスのところに行ってみると、やっぱり「ファーサイ」と書かれたバスがない。もしかして「BOTEU」がそうなのか?試しにバスの前をうろちょろしていたおっちゃんにこのバスがファーサイか聞いてみたところ、「そうだ。」っと言われた。げー!再度他の人に確認してみようと回りを見渡していると、フランス人の兄さんが「このバスはファーサイ行きだよ。You are late!」っと言われた。なんか言い方がきにくわない。ほっといてくれ!少しご機嫌斜め。ショック

バスに乗り込むと、すでに多くの人で席は埋まっていた。空いている席を探してみるが、どれもいっぱいらしく、座席と座席の間にクッションを渡して座るタイプの椅子しか空いてなかった。「しまった・・・。」しかたなくそこに腰掛ける。ファーサイまでは所要時間7時間なのに、背もたれのない席は、疲れそうだ。でもこればっかりは自分の誤算だったので、しかたがない。

うちが8時に乗り込んだバスが出発した時間はその1時間後の9時だった。すべての席は埋まり、溢れた人は運転手の隣にクッションを置いて座ったり、荷台に上がったりしていた。定員30人のバスに、恐らく45人以上は乗っていた。

道は悪路だった。昨日の雨の影響で赤土の道はぬかるみ、大きな水溜りが出来ている箇所もあった。バスは十分に速度を落として狭い山道を走った。それでも乗客は縦横左右にがたがたと揺られた。そのせいで棚の上にあった荷物が落下し、私の頭を直撃した。痛い。ついてない。出発して間もなく、周りの景色は果てしなく続く草原からうっそうとした森へと変った。大きな葉っぱのバナナの木がそびえた立ち、大木からは蔓が垂れ下がっている。それはまるでジャングルのようだった。

そんな中、バスが突然止った。バスの中にはどよめきが起こり、みんなバスから降りだしたので、わたしも後に続いて外に出た。前には大きなトラックが見えるのだが、なんだか右に傾いている。近づいて様子を確認してみると、ぬかるみにはまってしまい、出られないらしかった。このトラックがぬかるみから脱出しない限り、バスが通ることができない。「あらあら。」そんなことを思いつつ待っていると一台のトレーラーが山道を上がってきた。そしてトラックの救出に無事成功。乗客は全員またバスに戻った。

トラックが傾いている。
トラックが傾いている。

バスがその後進む道もはらはら連続だった。昨日の雨の影響で出来たであろうでかい川の中を渡ったり、バスが通れる幅のぎりぎりの道を通ったりと、何度かひやっとした。昼食休憩を終え、少し走ると、バスはまた停車した。今度はなんだ?、なんだ?っと思い外に出てみるが、特に変った様子がない。バスの係員はバスのトランクからタイヤを取り出し、バスの前輪と後輪を一つずつ交換し始めた。パンクした様子がないが、なんで交換するのだろう?車に関する知識があまりないので、わからなかったが、この交換の影響で少なくとも20分は外で待った。

ぼこぼこ道。
ぼこぼこ道。

タイア交換中。細かいことは気にしないラオス人。
タイア交換中。細かいことは気にしないラオス人。

そしてまた走ること1時間、バスはまた止った。次は目の前に大量の土砂が道に流れ出していた。土砂崩れで通れないのか?!しかし、上を見上げてみるとシャベルカーが一台あった。「こりゃー時間がかかりそうだ。今日中にファーサイに着くのかな?」そんな不安がよぎる中、バスが進みだした。強行突破するのだろうか?そう思う中、どうやら道は道でちゃんとあったようだった。なんだ、よかった。しかし安心するのもつかの間、すぐ先に工事現場があって、ここでは土木作業をするショベルカーやトレーラーでごったがえっていた。ここを通り抜けるのに、1時間近く時間がかかった。

うちの隣にはかっぷくのよいおば様が座っていたのだが、このおばさん態度がでかくてほんと参った。手をうちのひざの上にのせてくるわ、足を横に伸ばしてくるわ、頭をうちのほうに垂れてくるやらで、えらい窮屈な思いを強いられた。バスが激しく揺れる中、座席は振動ではずれるわ、おばさんは横からアタックしてくるわで、体の疲労はピークになった。

やがて赤土の道から舗装された道になった。しかし、依然として激しい揺れに耐えるドライブが続く。空が暗くなり、前方の雲がちかちかと光った。げっ、雷だ。バスが到着する前に雨が降らなければいいのが・・・。ずっと空の様子を見ていると、遥か向こうの空でも雷が光っていた。山の天気は変りやすいのだろう。

ファーサイに着いた時間は午後8時だった。この窮屈な座席に12時間も耐えた自分に拍手を送りたい。腰が痛い。さて、早速宿探しだが、現在地がどこか全くわからない。頭上にはぴかぴかと雷が暴れているが、幸いまだ雨は降っていない。同じバスに乗り合わせていた外国人旅行者に尋ねてみると、町はここから歩いて800m先にあるらしい。「迷ったときはついてゆくべし。」そう思い、うちは彼らの後を金魚の糞ごとくついていった。しかし、早足で歩いても、どんどん距離が離れてゆく。足の長さの違いに、少しショックを受けつつも、がんばってついてゆく。

10分ほど歩いたころ、川を隔てた向こう側に町の明かりが見えた。タイだ。そして私が歩いているのがラオス側。いよいよ旅が終盤に近づいているんだな、という気持ちになった。そのころ、雨がぽつぽつと降り出した。「あぁ、やだなぁ。」っと思った瞬間、雨がざーざー降り変った。大慌てでウィンドブレーカーを取り出し、前のザックに覆い被せる。雨の勢いは時間がたつと共に激しくなってゆき、体はびしょぬれ、視界も遮られる。「ひえ〜。」そして5分後、目的のゲストハウスを発見、私は部屋を確認すると、急いでチェックインをした。値段は$4と、少し高く感じられたけど、部屋は綺麗だし、ホットシャワーだし、何よりも他の宿を探す気力がうちには残っていなかった。全身ずぶ濡れだ。早速シャワーを浴びようと浴室に入ろうとすると、はて、電気がつかない。宿の人に事情を説明し、電球を交換してもらうようお願いした。しかし、現在持ち合わせの電球がないため、「ドアを開けながらシャワーを浴びてくれ」っとフロントの女の人に言われた。えー?それならディスカウントしてよ、っと交渉するが、こういうときになってお姉さんは「私英語しゃべれないから、あなたが言っていることがわからない。」っと言ってくる。いや、さっき英語しゃべっていたじゃない!結局部屋の値段を下げることは出来なかったが、ホットコーヒー1杯サービスをしてもらうことで合意した。コーヒーはネスカフェのインスタントコーヒーだったけど、寒さに震えていた私にとってはありがたい一杯だった。この雨の中、外で食事をする気にもならず、宿でツナサンドを注文して食べる。

今日の一言:「はぁ、疲れた。」
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【ラオス】シン買いすぎ。 (ムアングノイ〜ルアンナムター)

2005.03.14 Monday

朝はマーケットの屋台で麺を食べた。屋台のおばちゃんに始め値段を聞いたら、「3000kip」っと言われたのに、うちが渋っていると「2000kip」っと値下げされた。おっ?最初に言ったのはツーリストプライスなのだろうか?わけがわからなかったが、麺を食べる。

屋台の麺。
屋台の麺。

ムアンシンのマーケット(笑)
ムアンシンのマーケット(笑)

食後、ドン・デットで知り合った茂子さんに「ムアンシンではシンを安く買えるよ。」っという情報を聞いていたので、早速マーケットのシンをチェックしてみることにした。私が始めに眼をつけたのは、伝統的なラオス織物のシン。緑色の布で、裾のほうには黒地に白やピンクや黄色の柄が入っている。値段は65000kipと少し高かったが、購入することにした。その後、私はもう一枚柄の入った薄手のシンを手に入れるため、マーケットをぐるぐると歩き回った。すると、壁に紺色の生地に、アカと黄緑色の花をあしらったシンがあった。「かわいい!」値段も7000kipと安かったので、私は迷わずそれを購入した。

さて、布を二枚購入したところで、私はマーケット内にある仕立て屋に向かった。シンとは簡単にいうと布巻きスカートなのだが、布の端と端がくっついており、余った部分の布を折り曲げ、腰の部分に押し込んで着るタイプのスカート(説明がわからなかったらごめんなさい)なので、一枚の布の端と端を縫製してもらう必要がある。仕立て屋のおばさんに値段を聞いて見たら花柄のスカートは3000kip、そして織物のほうのスカートは10000kipと言われた。おばさんは足でミシンの速度を調節しながら、器用に布をつなげてゆく。

仕立て屋のおばさん。
仕立て屋のおばさん。

待っている間、私は目の前にあった山岳少数民族の人たちの売っている露店にいった。帽子やスカートなどさまざまなものが売られている中、私が気に入ったのは黒地に赤や黄色の細かい刺繍が入ったマフラーのようなものだった。すごく美しくて、かわいい。値段を聞くと80000kipと言われた。迷う。「しかし欲しいなぁ・・・。」そう思いながら、その布を売っているおばちゃんの首元に目が留まった。売られているものと同じようなもんを巻いているが、これには黒地にピンク色の刺繍が入っており、刺繍の多さは売られているものが勝るのだけれども、数倍かわいい。試しにそのおばちゃんにジェスチャーで聞いてみる。「首にしているマフラーがかわいいのだけど、これは売ってくれますか?」おばちゃんは首からマフラーをとると、笑顔で私にその首巻を見せてくれた。あまりのかわいさに、すっかり気に入ってしまった私は買うことを決めた。値段を聞いたところ、「70000kip」言われた。がんばって「60000kipくれませんか?」っとお願いしたところ、「60000kipでオッケー。」っと言う返事が返ってきた。おばちゃんどうもありがとう!さらにうちはこの首巻をしたおばさんの写真を撮りたかったので、再びジェスチャーで「つけてもらえますか?」っとお願いする。すると、少し照れながらもおばちゃんは頭につけていた布をおろし、うちが先ほど購入したマフラーを巻きつけた。「そうか、これは頭にも使うものなのか。」一人納得。そしておばちゃんの素敵な笑顔をカメラにおさめることができた。いい買い物をしたなぁ。でも、おばちゃんからマフラーを奪い取ってしまった。大丈夫だったかなあ。

頭に付けているものを購入しました。
頭に付けているものを購入しました。

先ほどのシンの仕立ても終わり、私は宿に戻った。そしてパッキングを済ますと、予想外の出費に再び両替し、11時発のルアンナムター行きのバスを探した。しかし、マーケット前のおじさんに聞いて見てもどのおじさんは道の先をさすばかりで、肝心のバスの方を指差してくれない。事情が飲み込めない私は、近くのツーリストインフォメーションにいった。すると、デスクに座っていたおじさんが「警察の前にバスが止まるから、そこで待機していなさい。」っと言われたので、私はそこの前でバスを待つことにした。

待つこと5分、一台の大型のトラック改造バスが到着した。ドライバーさんに聞いて見ると、「ルアンナムター」っと答えてくれたので、私は「あぁ、これだ!」っと思い、荷物を預けると中に乗り込んだ。そこでびっくり。おいおい、どこに座ればいいのだ。真ん中には屋根に使うための赤茶色の板が大量に積まれており、座れるものの、足を地面につけられないほど板は座席に接近していた。奥のほうを見てみると、少しばかり余裕があるように見えたので、私はそこに腰掛けた。

バスは10時50分に発車し、なぜかルアンナムターとは反対側の方向へ走り出した。そして到着したのは小さなバスターミナルだった。そうか、ムアンシンにもバスターミナルがあったのか、それは知らなかった(笑)マーケット前にいつもトゥクトゥクやトラックバスが停車しているので、そこがバス停兼バスターミナルだと思っていた。私は一度バスから降りると、チケットブースでルアンナムター行きのチケットを購入した。バスに戻ると、他の乗客がさらに乗車してきたため、私は自分の席にたどり着くことができなかった。それもこれもすべて誰かさんの瓦の大荷物のおかげだわ。しかたなく、左足を狭い隙間につっこむ姿勢になってしまった。

ムアンシンへ向けて走ったときの教訓から、私は今回フリースを着用した。これは大正解だった。今日は曇りで天気が悪いためか、気温もあまりあがらない。そのためだろうか、山道を走ったバスを吹き抜ける風は、高度が増すことにどんどん冷たくなっていった。向かいの席には半そで姿のおじさんがいる。平気な顔をしているが、寒くないのだろうか?ちなみにこのおじさんのキャップはものすんごい年期が入っていて、キャップの後ろ辺りがほどけており、まるで蜘蛛の巣のようになっていた。

ルアンナムターに到着すると、私は二日前と同じ宿に泊まることにした。理由は簡単、明日の朝早くにタイとの国境の町、ファーサイに移動するからです。しばらく休憩し、少し町を散策した。案外広い。ルアンナムターのメインストリートまで宿から歩いて10分ぐらいかかった。でもメインストリートといっても閑散としていて、レストランも少なく、お土産やさんも少ない。道も広い。幅12mぐらいありそう。

メインストリートのレストランで食事を済ませた後、私は一軒の服屋にはいった。すると、そこにすごくかわいい縞々柄の麻のシンがあった。値段は35000kipと言われた。あぁ、安いなぁ、買おうかなぁ。どうしようかなぁ・・・・。っといいながら心はもう決まっており、買ってしまった(笑)料金は仕立て代込みで40000kip、5000kipだけ値引きしてくれた。仕立ててもらったあと、シンの着る方法を学ぶ。気づけば、今日なんと3枚もシンを買ってしまった。買いすぎだ。お金も減ったが、荷物が一気に増えた。

一度宿に戻ろうと歩いていると、一人の自転車に乗った男の子が片言の英語で声をかけてきた。彼はファン君というのだが、今学校が終わり、帰る途中だという。これでルアンナムターでラオス人に声をかけられるのが二回目だ。『多いなぁ。』一人思う。宿の近くの市場へ歩いていたのだが、彼と、彼と一緒にいた友達は暇らしく、一緒に付いてきた。

ここの市場にはなんと生け簀があった。中にはフナのような川魚が泳いでおり、水もちゃんと循環している。他の生け簀にはどんなのがいるのかな、と覗いてみたが、どこも同じ魚が泳いでいた。その後、竹細工や野菜コーナーを練り歩く。規模は小さいが、なかなか味のある市場だ。歩いているとき、ファン君が「僕の家に遊びに来ないか?」っと聞いてきた。彼の家はここから自転車で10分ぐらい走ったところにあるらしいのだが、なんだかあまりにも突然すぎたので、行く気にならなかった。それにしてもラオスの人は自分の家にお客を招待するのが好きなのか?それとも、何かたくらんでいるのだろうか?よくわからない。

彼らに別れを告げ、宿に戻る途中、彼らがまたやってきた。なんだと思ったら、「夜時間があったら会いませんか?」っと言ってくる。う〜ん。よくわからんが食事の友ならいいかな?っと思い、夜7時に宿の下で待ち合わせることにした。

夕方はがんばって日記を書いた。ここに来てまた溜まってきている。うちは一日書きすぎなのかなぁ?でも「そのためにノートPCを持ってきたのだ!」っと心をめらめらと燃えあがらせ、かちかちと打ち込む。

7時前、窓の外から女の人が「トミー、トミー」っと呼ぶ声が聞こえた。慌てて下へ降りてみると、昼間会った二人立っていた。どうもさっきの声は宿のおばちゃんの声らしく、下から友達が来た事をしらせるために呼んでくれたようだった。

「ご飯どこに食べに行こう?」っと聞いてみたら、彼らは「すでに食べてきた。」っと言った。へ?一緒にご飯を食べる約束じゃなかったっけ?さておき、うちは彼らを引き連れて、レストランへ入った。彼らは何も注文する様子もなく、私はビールとチャーハンを頼むと、二人に振舞った。待っている間、私は彼らの家族や学校について聞きまくったのだが、ファンさんは英語があまりできないらしく、同じ質問を何度も繰り返した。

食事が運ばれ、私が話しながら食事をしていると、ファン君から「早く食べて。」っと促された。なんでだ?この後どこかへ行く予定があるのか?よくわからなかったが、私は沈黙の中、チャーハンに集中した。そんな中、ファン君はまた奇妙なことを言い出した。「I like candy.」「ふーん。」・・・・・っだ、だから?意味がわからん。「You like candy?」これまたなんだかわからないが、とりあえず愛想で「me too.」と答える。すると、彼の口から意味不明な言葉が飛んできた。「Buy me candy」ん?これは私に菓子を買えって言っているのか?ちょっと自分の耳の奥がおかしくなったと思い、軽く無視する。

チャーハンを食べ終え、料金を払おうとすると、うちは財布を部屋に忘れてきたことに気づいた。「ちょっと待ってて。」私は彼らにそう告げる席を立ち、宿に向かって歩きだした。そして数分後、レストランへ戻ってくるとファン君の姿はなく、英語をしゃべられないファン君の友達しか座っていなかった。彼の話によると、ファン君は私があまりにも遅いので、様子を見に行ったらしかった。私は食事代を払うと、ファン君の友達と一緒に宿に向かって歩き出した。すると、ちょうどファン君と会うことができた。

このあと彼らはどこへ行く予定か全くわからなかったが、明日朝早いし、彼らはわけわからないことを言ってくるので、今日はさっさと宿に戻ることにした。私は彼らに「私はもう疲れたから宿に帰る。」っというと、彼らは宿まで一緒に付いて来た。そして宿まであと100mぐらいのところで、ファン君がこんな質問をしてきた。「Do you have mobile phone?」携帯あるかって?あぁ、あります、あります。「Yes, I have」っと答えると、彼は羨ましそうな顔をしながら「I want mobile phone」って言った。ここまでなら普通の会話だ。問題は次。「Buy me mobile phone」私は耳を疑った。なんで私があなたの携帯を買わないといけないのよ。めちゃ気分を害した。私が「買うわけないでしょ。」っと英語でいうと、彼はあっさりと諦めた様子だった。一体何なんだ、この20歳のラオス人男児は。私はかなり腹が立った。うちに声をかけてきたのは、物を買ってもらうのが目的ですか。じゃぁターゲットを間違えてまっせ、お兄さん。うちは怒りが治まらぬ中、「ばいばい。」っというと、彼はなんと「Can I go to your room?」っと言ってきた。はぁ〜?こいつ本気でアホやなっと確信した。「No!!!!」私はさっさと宿へ戻った。彼は何を考えているのだ?!日本人は金持ちだから、物を買ってくれると思っているのだろうか?とにかく、気分が悪い。

部屋で日記を書いていると、雨が降り出した。やがてそれはスコールになり、大粒の雨が町を打ちつけた。私は風呂に入り、少しくつろいでいると、ドアをノックする音が聞こえた。「なんじゃ?」っと思って出てみたら、この宿のスタッフの人に引き連れられた、ポンさんが立っていた。めちゃめちゃびびる。確かにまたこの地に戻ってくるとは言っていたが、また会うとは思っていなかったし・・・っというか、普通訪ねてくるか?!挨拶を交わすと、彼は「連絡先を教えてくれ」っと言った。「あぁ、わかりました・・・。」メモに連絡先を書くと、彼は「部屋で休憩してもいいか?」っと言ってくる。「いや、駄目。」さっさとバイバイして、ドアを閉めた。ちょっと怖くなった。外はスコールが降っていた。なんかここの街ではやたらラオス人に声をかけられたのだが、いずれもろくな目にあってない気がする。日本人の女の子ってどう見られているだろう。

お買い物はよかったのだけれど、それ以外の出来事ががっくりした、本当によくわからない一日だったなぁ・・・。
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【ラオス】少数民族を訪ねる。 (ルアンナムター〜ムアンシン)

2005.03.13 Sunday

あぁ、酔っ払っている。昨日大移動でかなり疲れているのにも関わらず、結構お酒をのんでしまったので、なんだか気分が優れない。ここの宿はバスターミナルに近いのでとても便利なのだけれども、近いからこそ朝からかなり騒々しい。しばらくベットの中でごそごそしつつも、気分を奮い立たせ、むくむくと起き上がった。

今朝はおかゆを食べた。でも全部食べ切れなかった。だって量がどんぶり一杯ですよっ。朝からどんぶりになみなみと注がれたおかゆを食べる人はそういないのではないだろうか?

9時ごろバスターミナルに到着すると、9時半発のバスがすでにスタンバイしていた。今日もトラック改造バスだ。昨日の教訓を生かし、今日は中ほどに座ることにする。バスが出発してまもなく、前に座っていたおじさんがティッシュを包めて耳の中に突っ込んでいた。バスの音がうるさいからかな?バスは舗装された周りに民家すらない道をひたすら進んでいった。高度が上がるにつれて徐々に気温が下がり、Tシャツにウィンドブレーカーを羽織っていた私は寒さに震えた。こんなに寒くなるとは思ってもみなかった。それだけ深い山の中を走っているということなのだろうか?そして寒さと二日酔いのせいで、私はかなり参っていた。

ホテルの窓から。ルアンナムターのバスターミナル。
ホテルの窓から。ルアンナムターのバスターミナル。

「ムアンシン 10Km」という看板が見えかけたころ、黒いワンピースのような衣装に鮮やかなピンクの腰巻を巻いた人たちが道を歩いていた。ものすごくかわいい衣装だった。あっという間に過ぎ去ってしまったのではっきりと眺めることができなかったが、うちはそれだけでもかなり満足だった。ムアンシン周辺にはヤオ族、アカ族、モン族などの山岳少数民族が多く住んでおり、ムアンシンのマーケットにはそれらの人々の姿を目にすることができる。私がここに来た目的はずばりその少数民族の方たちを見るためです。中には少数民族を訪ねることがまるで「見世物小屋」のように感じ、訪れるのを嫌がる人もいるが、私はやはり少数民族の方たちが身に着けている衣装に興味があるし、自分の目で見てみたいと思う。

余談になるが、フエで自称「少数民族好き」の日本人の男の子に会ったとき、彼はこのムアンシンを訪れて大変がっかりしたという。それは少数民族の人たちが観光客慣れしており、写真を撮ろうとすると、お金を要求されたことにあった。彼はきっと「純粋無垢な」少数民族の方たちを想像していたのだろう。その話を聞いていたフクコちゃんはかなりお怒りだった。彼女は大学のときにオーストラリアのアボリジニーについて研究したのだが、彼女は少数民族の人たちの変遷について教えてくれた。少数民族の人たちはもともとお金などなく物々交換で生活を営んでいた。しかし、やがて観光客が彼らの地を訪れるようになり、お金を渡すようになると少数民族の中でも貧富の差が出てたそうだ。裕福な民族は得たお金で薬を買い、それを見た他の民族も何かのための供えとしてお金を蓄えるようになったのだという。つまり観光客が彼らの地に足を踏み入れたことで彼らはお金の価値を知り、生活自体が変化してしまったのだ。フクコちゃんはこういう背景を知っていたからこそ、彼の無知な考えに痺れを切らしていた。私もフクコちゃんほど詳しくは知らなかったが、日本人の男の子の言葉は、まるで「日本にはまだ侍がいる。」っと信じ込んでいる外国人と同レベルのものだと感じた。

1時ごろ、バスは無事ムアンシンに到着した。外はあいにくの曇り空だが、思っていたよりも気温は高く、暖かかった。近くの宿にチェックインし、少し休むとお昼ご飯を食べに近くのマーケットへ行った。マーケットの規模は小さいものだけれども、日用雑貨から食料品、衣類までそろっており、なかなか面白いところだ。ただ、生鮮食品が売っていないなぁ。私はマーケット内で人が溜まっている屋台で食事をすることにした。なにやらみなさん麺のようなものを食べている。料金を聞くと、「1000kip」と言われた。じぇ?!10円?!今までの中で、最安値だ!早速注文して見る。出てきたのはマロニーちゃんを少し太くした感じの麺だった。食べて衝撃を受けた。まっ、まずい!?!?!こんなに歯ごたえがない麺は初めてだ。そしてなんて味がないんだ。うちが箸を止めていると、隣に座っていたお姉さんがテーブルの上にある味噌のようなものを取り、少し入れてくれた。おお、ちょっとましになった。が、やっぱり基本は同じで、麺がまずい。すっぱい。お姉さんはさらに持参していたもち米を揚げたおやつをくれた。嬉しいなぁ。麺ともち米を交互に食べたおかげで、なんとか完食することができたが、いやぁ、それにしても安いけど本当にまずかった。

食後、マーケットでおやつを買い込んだ。それもこれも、以前ドン・デットで知り合った茂子さんから「少数民族の人たちを訪れるときは、おやつをたくさん持参したほうがいいよ。」っと言われたからである。少数民族の方の村がどこにあるかわからないので、早速メインストリートにあるツーリストインフォメーションに行ってみることにした。しかーし!あいにく休憩中で閉まっていた。開くのは1時間後の3時らしい。う〜ん、どうしよう。でも1時間も待ってられない。そう思った私はレンタル自転車屋で直接聞いてみることにした。レンタル自転車らしきものが数台軒下に置いてあるゲストハウスの人に聞いてみること、近くの村まで「8Km」っと言われた。大体1時間(そんなにかかるか?)らしい。ここで自転車を借りようとお願いしたら、料金10000Kip+パスポートを預けろといわれた。「それは嫌だ。」断わると「じゃぁ$50置いていけ。」っと言われた。「いや、それも嫌だ。」嫌がっている私を見て、おばさんは「そんなにパスポートを預けるのが嫌なら、向こうの5000Kipのレンタル自転車屋さんで借りたらいいじゃない!あそこはパスポートの預かりなんてないわ。」っと教えてくれた。あら。そうなの?おばさん、あなたはそれでいいのかいね!?ともかく有益な情報をありがとう。おばさんが指差したほうに歩いていくと、ありました、5000Kipのレンタル自転車屋さんが。借りた自転車はおんぼろで、形は中国の人たちが乗っている感じやつだった(わかる?)。店の人の話だと、前の道をまっすぐ走ってゆくと、8Km先にはヤオ族の村があるという。そして、やっぱり所要時間は1時間だった。そして、また反対方向を走ってゆき右に曲がるとそこには別の少数民族がいることも教えてくれた。でも今日一日で二つを見るのは無理なので、今日の朝反対方向へ行くといいだろう、っと言ってくれた。

ペタルを漕ぐたびに「ぎーぎー」っと変な音がなりつつも、自転車は快適だった。太陽が雲に隠れているので気温は比較的涼しく、周りの景色は田園風景で気持ちよい。ただ道端には大量の水牛の糞がいたるところに散らばっているので、臭い。そして時々行く手を遮るかのごとく『どーん』っと大きいのがあったりするので、避ける。道はずっと緩やかな上り坂だった。、「帰りは下りになるから楽そうだ。」そう思いながら必死になって漕いだ。

れっつごー!
れっつごー!

水牛くん(ちゃん?)たちとすれ違う。
水牛くん(ちゃん?)たちとすれ違う。

40分ぐらいたったころ、小さな村が見えた。これかな?でもまだ1時間たってないぞ。「Adima Guest House&Restaurant 600M」と書かれた眩しい看板があるけど、民族衣装を纏った人も見当たらない。「もっと先かな?」っとうちは思い、さらにその先を目指すことにした。すると、道端に子供たちが3人うろついていた。「サバディー」声をかけて通りすがろうとすると、おやつの袋に気づいた子供たちはうちの後ろを追っかけてきた。ゲッ?!しかも早い。強烈な食いつきっぷりに、恐怖を覚える。「サバディー!サバディー!サバディー!・・・・」後ろからどこまでも、果てしなく追いかけてくる。1キロぐらい走っただろうか、ようやく彼らは諦めた。それにしてもなんておやつに対する執着心が強い子達なのだろう。驚いた。

勾配の強い坂を上り、トラックに追い越される中、時計を見ると出発してから1時間が経過していた。そろそろ村に到着するのだろうか?期待を胸に自転車を押し進めていると、前方にラオスの国旗がはためく関所のようなところに到着した。なんじゃ、ここは?前にはゲートがあり、隣接する建物を見てみると、「入国」そして「出国」の窓口が二つある。ん?制服を着たお兄さんに、「私この先に行きたいんだけど。」って言うと、「だめだ。」って言われた。え〜?なんで、なんで?っと聞いたら、「この先は中国だ。」っと言われた。ここは国境なんだ!知らなかった。(後でガイドブックをちゃんと読んだら書いてあった。)うちはどうやら目的の村を超えて、中国のラオスの国境まで来てしまったらしい。ちなみにここの国境は外国人には開かれていない場所です。お兄さんに「小さなビレッジは?ビレッジ?」っと聞くと、うちが来た方向を指差した。あぁ、やっぱり来すぎてしまった。っということはさっき見た村がそうなのか?お兄さんに感謝を告げると、うちは一気に今来た道を下った。

間違ってきちゃった国境。たぶん写真はNG。
間違ってきちゃった国境。たぶん写真はNG。

5分もしないうちに、先ほど通り越した村が見えた。うちは情報収集のため看板に書かれていたレストランに行こうと思い、看板に従って自転車を走らせた。すると、右手の民家に民族衣装を纏ったおばさんが庭で何かをしていた。「そうか、ここだったか。」今度は間違いなく辿り着いたようだ。

ゲストハウス兼レストランは、周りに何もないところにあった。レストランに入ろうとすると、女の子3人組がいて、うちを近くのヤオ族の村とアカ族の村を案内してくれるということだった。おお、これはありがたい。レストランでりんごシェークを飲みながら置いてあった周辺の地図を確認した。ムアンシンを中心に、周りには多くの村があった。見てみると、違う民族なのに結構近距離で生活しているのには驚かされる。争いゴトなどないのだろうか?一人考える。

女の子に連れられるまま、私はまずアカ族の村に向かった。彼女たちヤオ族の子供たちであり、この近くの村に住んでいるということだった。年齢が12歳というムアンツォイとニンキアムちゃん二人は英語がぺらぺらで、もう一人のナイローちゃんは10歳で英語がしゃべられないけれども、三人ともとても人懐っこい笑顔でかわいらしかった。彼女たちはよくこのゲストハウスに遊びに来るらしく、時々外国人観光客を村へ案内しているとのことだった。

アカ族の村は、ゲストハウスから歩いて約5分と、とても近いところにあった。竹で作られた高床式の住居がならび、庭では織物をしているアカ族の人たちがいる。子供たちははしゃぎまわっており、うちのほうをジーっと見つめてくる。のんびり歩いていると、うちの姿を見つけたアカ族のおばちゃんが、猛スピードで走ってきた。頭にはアカ族特有のビーズなどの装飾が施された帽子を被っており、にこっと笑うと歯が黒かった。これはお歯黒なのかしら?彼女は手に銀製の腕輪を一つ持っており、うちに「ほれ、ほれっ」っと差し出してきたが、うちは買う気がなかったので断わる。家の前にアカ族のかわいらしい子供が二人がいたので、カメラを構えながら近づいていってみると、恥ずかしがって逃げていってしまった。「こういうときにおやつをあげたらいいのかしら・・・。」うちはかばんの中から、ごそごそとおやつを取りだした。すると、一緒に居たニンキアムちゃんが「彼らにおやつをあげら駄目よ。彼らはおやつ大好きなんだから。」っと言って来た。「でもたくさん持ってきたから」そういうと、私は彼らに先ほど買ったおやつだけをあげ、写真は撮らなかった。しかし、おやつの匂いを嗅ぎづけた子供たちがうちに向けて突進してきて、あっという間に囲まれた。「サバディー!!」コールが始まり、みんなは一斉に手のひらをうちの方に向けてきた。中には赤子を抱えたおばさんもいる。慌てた私は「写真を撮らせてくれたら、おやつあげる。」っと彼らにいった。すると、子供たちは静まり返り、真顔になった。ゲッ。こんな写真あまり撮りたくない・・・・。そう思いつつも、仕方がないので、一枚撮影した。撮影後、おやつをあげたが、ものすごい騒ぎになったので、私はおやつ配りを中断して逃げ出した。怖かった。

アカ族の村。
アカ族の村。

住居は高床式。
住居は高床式。

思わず逃げたおやつアタック。
思わず逃げたおやつアタック。

彼女たちが次に案内してくれたのは、ヤオ族の村だった。先ほどのアカ族から徒歩5分のところにあり、彼女たちはここに住んでいるという。それにしても、二つの異なった民族が、こんなに近距離に住んでいることには驚いた。「アカ族の村とこんなに近いが、争いゴトとか起こらないの?」彼女たちに聞いてみたが、争いゴトなど一切ないという。へ〜。

村に入ると、まず学校があり、さらに先を進むと右手でおじさんが水浴びをしていた。顔を含め、全身泡だらけだったので、思わず笑う。ヤオ族の方の特徴はなんといってもその美しい衣装にある。黒地に赤い襟巻きがついた民族衣装を身に纏い、頭にはクロスステッチをあしらったターバンのようなものを巻いている。その姿は実に美しく、すれ違うときについつい見とれてしまう。歩いていると、一人のおばあちゃんがビニール袋から民芸品を取り出し、うちに売りつけてきた。うちは小さなキーホルダーのようなものを購入すると、おばあちゃんの写真を撮らせていただいた。とても素敵な笑顔だった。ここ村を歩いていて思ったのが、黒豚がやたら多いこと。至る所で親豚が子豚を引き連れ、歩いている。この民族は鶏よりも、豚を好むのであろうか?道にはその影響か、糞もたくさん転がっていた。

とても素敵な笑顔のおばあちゃん。
とても素敵な笑顔のおばあちゃん。

ヤオ族の村の雰囲気。
ヤオ族の村の雰囲気。

さらに村の奥へ進むと、女の人たちが輪になって刺繍をしていた。写真の撮影をお願いするが、「何か買わないと駄目」っと言われてしまった。『やっぱりそうよね・・・。』ここでは特に買いたいものがなかったので、写真撮影は諦めることにした。来た道を帰りながら、私は持参してきたおやつをヤオ族の子供たちに配った。先ほどのアカ族の子供たちとは違い、控えめな笑顔で受け取ってくれる。そして、先ほど民芸品を購入したおばあさんもうちのおやつの袋に指をつんつんと押し当て、「ほしい」の仕草をしてきた。笑いつつも、喜んであげる。みんなにおやつを配る自分は、まるでサンタのようだった。

子供たちは働き者だった。
子供たちは働き者だった。

赤ちゃんのお守りしている子も。
赤ちゃんのお守りしている子も。

ゲストハウスに戻ってきて、私は三人の女の子に感謝を告げた。すると、彼女たちはずっと手にぶら下げていたキーホルダーのようなものを差し出し、「買って頂戴。」っと言ってきた。「さっき買ったのになぁ。」そう思いつつも、彼女たちには感謝しているし、キーホルダーもなかなかかわいかったので、二人の女の子から買うことにした。私は余ったお菓子を彼女たちにプレゼントすると、来た道をのそのそと自転車で帰った。今日の夕日は雲に隠れていたが、なかなかいい風景だった。

案内してくれた女の子たち。
案内してくれた女の子たち。

寺院の前を通ると、お坊さんがサッカーをやっていた。え?お坊さんもサッカーするの?!どんどんお坊さんに対するイメージが崩れる今日この頃。

夜、ものすごい量の雨が降った。これがスコールというものなのかなぁ?それはもう滝のような雨で、雨音がぽつぽつではなく、ばちばちと鳴り響いていた。空はぴかーっと光り、雷がごろごろと鳴り響いている。しばらくすると、停電になった。そして私はお風呂に入っていた。なんでいつも停電になるときはお風呂に入っているのだろう?それが私の運命か?がっかりしつつも、暗闇の中手探り状態でシャンプーをする。ドン・デットで体験したときは、自分がお風呂に入っていた界隈だけでの停電だったので、まだ窓から月明かりやレストランからもれた光を感じることができたのだが、今回は村全体が停電になったようで、本当に真っ暗だった。5分後、電力が回復した。よかった、よかった。それにしてもびっくりしたなぁ。
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【ラオス】移動、移動、そして移動。 (ムアングノイ〜ルアンナムター)

2005.03.12 Saturday

今日もやっぱり寒い。そして相変わらず鶏たちの合唱の素晴らしいこと。着替えて外に出るのが億劫だけど、そんなことも言ってられない。くしゃみをしながら支度を始めた。

昨日と同じで、今日もムアングノイのメインストリートにあるレストランで朝食を取った。チーズサンドをむしゃむしゃ食べながらメインストリートの様子を眺めていると、二羽の七面鳥が歩いている。おお、尾っぽの羽がピーンと扇になっていて、実に美しい。そんなとき、「びょろびょろびょろ〜!!!!!」っと二羽の七面鳥がけたたましく鳴いた。なんて変な鳴き方をするんだろう。渾身の力を絞っているかのごとく体を揺さぶりながらひねりだすその声は、実に苦しそうな声だった。

荷造りしているとソンペさんが見に来てくれた。彼女は英語が全く通じないのだけれども、色々気を使ってくれて、笑顔の絶えない人だった。彼女に挨拶をすると、うちは2日間お世話になったTALEEゲストハウスにお別れを告げた。

ソンペさん。でもなんか写真のときは笑わなかった。
ソンペさん。でもなんか写真のときは笑わなかった。

9時半発ノンキャウ行きの船は、外国人観光客でいっぱいだった。売れないミュージシャンのような風貌美容室(どんなんやねん!)のおっちゃんが、「舟に乗る前の儀式だ」っと言って、お酒を回し、半ば強制的に乗客全員に飲むよう、指示している。うちは飲まなかったが、それはラオラオ(ラオスの米で出来たお酒。日本酒のようなもの)と何かを混ぜたものらしい。ボトルの中には小さな浮遊物が舞っていた。定刻に出発すると、舟はゆっくりと岸から離れた。岸の右側に目をやると、村の人たちが木で組まれた屋根の下に集まっていた。あれは昨日水死してしまった子の葬式なのだろうか。ムアングノイには2日間しかいなかったけれど、村全体の雰囲気がのどかだし、景色も素晴らしいし、私はすっかり気に入ってしまった。機会があればまた来たいな。そう思いながら、バンガローが立ち並ぶ村の景色にさよならを告げた。

火葬の様子。
火葬の様子。

ムアングノイへ向かうときの舟は、浅瀬を通る際、私たちを降ろして少し陸を歩かせたのだが、この舟は途中で降ろすことなく、浅瀬を一気に駆け抜けた。そのおかげで水しぶきがばしゃーばしゃーっと跳びはね、その度にみなしぶきがかからないよう、舟の中央に体を寄せていた。まぁ、そんなことをしても結局濡れてしまいましたがね。この舟は行きの舟に比べるとサイズも大きく、エンジンもいいせいか、快適だった。

山の間を舟で進んでゆく。
山の谷間を舟で進んでゆく。

ちょうど1時間ぐらいして舟はノンキャウに到着した。無事たどり着いてホッとした。私は荷物を取ると、バスターミナルで待っていたウドムサイ行きのトラック改造バスに乗り込んだ。隣のルアンバパーン行きのバスの中では、さっきお酒を回していたおっちゃん(兄ちゃん?)がギターを片手に歌っている。のんきじゃのう。私は何も考えず運転手のすぐ後ろの席に座ったのだが、これが大失敗だった。ここは風をもっとも受ける席であり、寒いし体に堪える。ウィンドブレーカーを着ていたのだけれども、足元からエンジンの振動が伝わってくるし、横からは風が猛アタックしてくるし、かなり参った。バスは舗装されたくねくねとした山道を、どこまでも進んでいった。

ウドムサイに到着したのは15時過ぎだった。乗っていた時間は約3時間半。本当に疲れた。しかし落ち着く間もなく、私はルアンナムター行きのバスを発見すると、大慌てでそのバスに乗車した。しかしあいにく満席だったので、私はしかたなく通路に水色のプラスチック椅子を並べて、その上に座ることになってしまった。このバスは日本から輸入されたものだからか、ドアのところに「スラムダンク」のルカワのシールが貼られていた。ははは。

プラスチック椅子での乗車は、大変だった。カーブにさしかかる度に隣の人の座席につかまり、バランスを保つ。急カーブのときは椅子がふわっと地面から離れるときもある。前のスイス人のお兄さんも急カーブのたびに椅子が浮き、ずっこけそうになっていた。

やがてあたりがどんどん暗くなってきて、バスの中から真っ赤な夕日が見えた。旅をしているときは幾度となく夕日を見るし、自分自身も不思議と夕日や朝日を見たくなる。東京で生活をしていると大して気にも留めないのに、旅しているとどうしてこうも人は夕日とか朝日を恋しく思うのだろう。それだけ、日々の生活があわただしく過ぎてしまっているということなのだろうか。

ルアンナムターには午後7時に到着した。もっと時間がかかると思っていただけに、ほっと一安心。宿探しがめんどくさかったので、今日はバスターミナルから徒歩1分という宿に決めた。おなかが空いたので、早速近場のレストランをあたってみようと辺りを見回すが、食堂らしきところが見当たらない。この町は規模がそこそこあるにもかかわらず街灯が少なく、町が全体的に暗い。てくてく暗闇を歩いていると、うちの姿を見つけた二人組みのアカ族の人たちがものすごい勢いでうちを目掛けて突進してきた。そしてあっという間に囲まれ、彼女たちは貝を編みこんだブレスレット、そしてラオのお茶を手にうちに「ほれ、ほれ」っと見せてきた。うちが「買わない、買わない」っと言っても、腕を掴み、執拗に引き止める。最終的にはうちがその場から逃げ出してどうにか脱出することが出来たのだが、その積極的な姿勢に少し驚いた。

近くのよさげなレストランは観光客でいっぱいだったので、「宿の下にあるレストランで食べるか」っと宿のレストランに入ろうとしたとき、バイクに乗った一人のラオス人の兄ちゃんに声をかけられた。いつも通り国籍を聞かれ、「ニープン(日本)」っと答えると、片言の英語で「I want to know you」っと言って来た。は?目が点だった。あまりにも唐突だったので、わらけた。こいつは面白い。うちも話し相手がほしかったので、ここは相手をすることにした。彼においしい食事どころを聞くと、近くに中華料理屋さんがあるということで、歩いてそこまで行った。

中華レストランに到着し、うちはビールと青菜チャーハンを頼むと、このお兄さんと色々お話をした。彼の名前は「ポン」さんで、現在高校で数学を教えている25歳。現在ビエンチャンにいて勉強中の彼女がいて、彼は英語を勉強中だとか。そのほか色々話していると、彼が途中で「家に来ないか?」っと言って来た。え?いや、それはいい。丁重に断わる。そして私がルアンバパーンでディスコに行ったよ〜。っとかいう話をしていたら、ここルアンナムターにも何軒かあるみたいなので、「行くか?」っと誘われた。迷いつつも、ラオスディスコがかなり気に入ってしまった私は、ポンさんに「行く!」っと言った。少し心配しつつも、このお兄さん本当にいい人なので、ここは信じてみることにする。

ディスコは中華料理屋さんから角を2つ曲がったところにあった。前には数台バイクが止っており、看板の周りにはオレンジ色のネオンが輝いていた。早速中に入ってみると、椅子とテーブルが並べられた店内にはお客さんが数人しかいなかった。3人組のバンドがステージで演奏しており、前には数人の女の子が楽しそうに踊っていた。私たちはステージ中央あたりの席に座った。ルアンバパーンのディスコに比べるとここはだいぶ規模が小さいが、店内を流れる独特の雰囲気は全く一緒だった。いや〜、楽しいな。ビールを飲みながらポンさんとのんびり話す。少しすると、ポンさんの同僚の女の人と、その友達の計3人がやってきた。そして乾杯。三人とも美人だ〜!ポンさんの同僚と言っていた女の人は、高校でラオス語を教えていると言っていた。のりのりの彼女たちは、「踊ろう、踊ろう!」っとフロアーに誘ってきた。まぁ、乗せられるまま、一緒になって踊る。これが凄く楽しかった。

宿に戻ってきたのは11時半ぐらいだった。ポンさんにお礼を言い、部屋に戻るとベットに倒れこんだ。お酒を飲んだ量はほどほどであるのにも関わらず、すごく酔っ払った。それもこれも、今日は大移動で体が疲れていたからであろう。その後意識なく、気づいたら午前4時だった。おお、電気つけっぱなしで寝てしまった。お酒が体の中に残っている中、ホットシャワーを浴び、再び眠った。
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【ラオス】何もしない日。 (ムアングノイ)

2005.03.11 Friday

「コッーケコッ ゴホっ」語尾が変な鶏の声が四方八方から聞こえる。ラオスはどこへ行っても家畜に鶏を飼っているが、ここは他のところに比べて鶏の数が多いように感じる。山間の村だから、鶏の声も響いているだけだろうか?布団の中でもぞもぞしながら一人思いを巡らす。

朝は驚くほど寒かった。まるで冬だ。布団と毛布二枚を羽織って寝ていたが、長袖一枚で寝ていた私は、布団から出るや否やくしゃみをした。「あぁ、さぶっ!」ウィンドブレーカーを着て外へ出てみると、外はすでに明るくなっていた。目の前の山と川の景色は今日も美しい。

朝食をメインストリートのレストランで済まし、バンガローで日記を書いていると、またまた女の子3人組が訪ねてきた。今日は学校がないとのことだった。うちは日記に集中していると、NAちゃんは私のために木から剥いだ皮で腕輪を二つも編んでくれた。嬉しいなぁ。またまた感激する。午前中はとても涼しく、まるで春のような陽気だった。正直ハンモックに揺られながらのんびりと景色を楽しみたかったのだが、彼女たちがいるし、そしてハンモックにはTALEEちゃんがごろっと寝そべっているので、なかなかそれができなくてがっかりしてしまった。彼女たちにパソコンの中の写真を見せたりしていると、あっという間にお昼になっていた。

お昼は再びメインストリートに繰り出し、一軒のレストランに入った。昨日の余ったもち米入れを持参してきたので、うちはリベンジを果たすべく、今回はチキンカレーを注文した。50分ぐらいして、ようやくカレーが出てきた。でも中身は鳥のささみとポテトだけだった。がっかりしつつも、うちはもち米入れを開き、食べはじめた。そして数分後、ある事実に気づいた。蟻が米の中で歩き回っている。ひえ〜!!!蟻をつまみ出し、さらに米入れをとん、とん、っとたたくと、蟻が5匹ぐらい落ちた。げ?!何匹いるんだ?!しまった、そういえばうちは昨日米を地べたに置いていたので、その匂いを嗅ぎ付けた蟻たちがもぐりこんでしまったんだ。へこみつつも、蟻がいなくなるまで米入れをトントンと机に叩き続け、半ばやけくそで米を食べた。でもやっぱりすべてを食べ来る気がおこらず、残す。

そういえば、料理待っているこの50分間、私はもう一冊持参していた小澤征爾さんの「音楽武者修行」っていう本を読み終えた。やっぱり凄い人は、やることもすごいな。今から30年も前に貨物船で単独ヨーロッパに渡り、スクーターでヨーロッパで旅しながらパリやドイツなどで開催されている主要のコンクールに出場し、その全てで入賞を果たした。当時、ヨーロッパのコンクールに出場する日本人がいない中で入賞を果たし、さらに世界的に有名な指揮者のレッスンを受けて、26歳でニューヨークフィルの副指揮者に就任してしまうなんて、本当にすごい。今まで「世界的な指揮者」ぐらいしか知らなかったけど、この本を読んで小澤さんのすごさがわかったし、同時にとても面白い人だということがわかった。いつか小澤さんの音楽を生で聴いてみたいな。

「はぁ〜。」ため息混じりで宿に帰る。そして途中で米を捨てる。気分はブルー。バンガローに戻り、「のんびりハンモックに揺られるか」っと思ったら激しい太陽光線にノックアウト。暑い。まるで夏だ。しかたがなくプラスチックの椅子に腰掛け、ボーっとする。川辺では裸んぼうの子供たちがチューブタイアに乗って浅瀬で遊んでいる。うちも川に入りた〜い!

ハンモック。
ハンモック。

バンガローからの景色。
バンガローからの景色。

気づいたら4時になっていた。女の子たちが訪ねてこないので、「一人でこの辺うろちょろした後、一人で洞窟まで行くか。」っと重い腰を上げて歩き出した。朝までいたツーリストは一体どこにいってしまったのだろう?誰もいない。トレッキングとかに出かけてしまっているのだろうか?洞窟行く気だったけど、今から行くと帰ってくるのは遅くなるし、道もよくわからないし、今日はもう行くのを止める事にした。生ぬるいパイナップルシェークを買うと、うちはまたとぼとぼとバンガローへ戻った。

歩いているときにかわいい笑顔をくれた女の子たち。
歩いているときにかわいい笑顔をくれた女の子たち。

道端のにんにく?
道端のにんにく?

道に迷ってたどり着いたとこ。
道に迷ってたどり着いたとこ。

そんなこんなで、今日は何もしない一日だった。昼間気づいたのだが、このバンガローは屋根から白い粉が吹くらしく、ザックや服が白い粉まみれになった。なんなんだろう?夜、またまた電気を消して星を眺めていると、NAちゃんのお兄ちゃんであるREさんとSONPEさんが訪ねてきた。英語がとても堪能な彼は、現在大学で英語を勉強中で、今年の夏卒業予定だとのこと。将来はツアーガイドさんになることが夢なんだって。ツアーガイドさんってラオスではとても人気の職業なんだなぁ。また、彼は今日午後5時ごろ、5歳の男の子が溺死してしまったことも教えてくれた。この近所に住む子らしく、彼らはひどく胸を痛めていた。

寝るとき、粉が吹く事実を知った私はタオルを口元に巻いて寝ることにした。朝になるとどうせ取れているから意味ないかもしれないけど、まぁいいや(笑)。今日は本当に何もしなかったなぁ。
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【ラオス】暖かい歓迎 (ルアンバパーン〜ムアングノイ)

2005.03.10 Thursday

今朝も昨日と同じ具合に肌寒かった。出発の準備をしてチェックアウトをしたとき、初めてこの宿の支配人と思われるおじさんとあった。血色がよい、いかにもお金持ちそうだ。ルンくんは朝から宿のおばさんと一緒にルームメーキングをしていた。途中、写真を撮ってもらうようにお願いすると、「早く!」っと言われ、急ぐように急かされた。忙しい時間に頼んだうちも悪かったかもしれないのだが、朝見た彼は明らかにこの宿の「従業員」っといった感じで、おばさんの後について忙しそうに働いていた。昼間はいつもにこにこと自由に働いているように見えただけに、なんだかその姿は凄く対照的に見えた。

7時40分ごろ宿を出発して、早速宿の前に止っていた一台のトゥクトゥクに声をかけてみる。すると、北バスターミナルまで10000kipと言われた。これには驚いた。それに値下げにも応じない。ここはツーリストプライスなのか?っと思いつつも、走っていた一台のおんぼろトゥクトゥクに声をかけた。すると、始めは渋りつつも、笑顔攻撃の影響あってか、5000kipでターミナルまで行ってくれるとのことだった。おー、お兄ちゃん、ありがとう!

ノンキャウ行きのバスが発着するバスターミナルまで、結構距離があった。市内からざっと15分ぐらい。こんなにも遠いとは思っていなかったので、トゥクトゥクの運ちゃんには少し申し訳ない気がした。バスターミナルはこじんまりとしたものだった。そして、ここのバスターミナルには普通のバスとはちょっと違う、青いトラックが並んでいた。これがうわさに聞いていたトラック改造バスか!!北ラオスを旅すると、バスではなく「改造トラックのバス」に乗ることになるという話を聞いていたのだが、その時は全く想像がつかず、一人「どんなもんだろう??」とずっと思っていた。トラック改造バスは4トントラックの荷台に鉄組みの中には人が乗れるような座席をつけ、上には荷台を設けた。見かけは、トゥクトゥクの馬鹿でかい版って感じかしら?チケットを購入し、ノンキャウ行きのバスに乗り込むとすでに多くのラオス人が席についていた。まだ出発1時間前なのに、もうこんなに人が乗っているのか。みんな席を確保するために必死だ。うちも中に入り、なんとか体を押し込み席を確保することができた。バスの中には、中華系のおじさんも乗っていた。「あぁ、北上してきたんだなぁ。」っと一人思った。朝食用のパンを買い、しばらくすると、バスはきっかり9時に出発した。

北バスターミナル
北バスターミナル。

改造トラック。
改造トラック。

ノンキャウへの道も山道だった。くねくねとした道を、バスは煉るように進んでゆく。周りの景色は絶景だった。道路沿いには川が流れており、青々と茂る山が消えてはまた出現する。日本で見る景色に凄く似ているかも。ただ違うところは、瓦の屋根と違い竹で作られた家が立ち並び、時折鮮やかな民族衣装に纏った人たちとすれ違うことでしょうか。エンジンの振動が足の下から伝わってくるトラックバスの乗り心地は最悪だったけれど、その穏やかな風景にずいぶんと癒された。

バスが到着したところは、赤土の小さな空き地だった。どうやらここがノンキャウのバス停らしい。あまりにもバス停らしくないので、ここノンキャウがとても小さな村なんだな、という印象を受けた。外はとても暑かった。北上するということだけあって、あらかじめウィンドブレーカーを着用していたのに、汗だくになって失敗だった。チケット売り場のおじちゃんに舟の出発時間を確かめると、「午後2時」といわれた。着いたのが12時過ぎだったで、少し待つことになりそう。私は近くのレストランに入ると、豚のヌードルスープを頼んだ。これがこれがまずい。味がなくて、具も豚とトマトだけ。「おばさん、やる気ないやろう?」っとおばさんを見つめながら一人思った。

バス乗り場?
バス乗り場?

舟を待つところ。
舟を待つところ。

長細い舟がいっぱい。
長細い舟がいっぱい。

舟が出発したのは2時30分ぐらいだった。でもなぜか逆方向へ進んでゆく。給油場所と思われるところで5分ほど止ると、舟は再びさっきの発着所へ戻ってきた。どういうこと?見てみると、たった今ノンキャウに到着したばかりの他の外国人旅行者が、舟を目掛けて歩いてきた。そしてぞろぞろと乗り込み、先ほどまで余裕があった船内は、ギュウギュウ詰めになった。私はひざを曲げ、体を丸めた。そして同時に、ドン・デットで知り合った茂子さんの話を思い出し、緊張してきた。茂子さんによると、今の時期は水かさが低いため、ムアングノイ行きの舟の転覆事故が多いという。それゆえ、私もこのムアングノイへ行くことを一度諦めようかと思ったのだが、「ここは行っとかないと!」っと思い、今回来ることにしたのだった。とにかく、沈まないことを願う・・・。

舟の中の様子。
舟の中の様子。

この舟のエンジン音は強烈にうるさかった。振動がお尻にびりびりと伝わり、痛い。そしてなぜか私の腰の辺りだけ水が漏れているようで、お尻が濡れた。もぉ!しかし、周りの景色はすばらしかった。両サイドには美しいカーブを描いた山がそびえ立ち、川辺には緑の木と草が覆い茂っている。どうしてだろう、その景色はどこか懐かしく感じられた。

出発してから40分ぐらいして舟は砂漠の前に止った。そして舟の運転手が私たちに「降りろ」っと合図した。よくわからんが、ここから少しあるかなければいけないらしい。私たちを降ろすと、運転手は荷物だけ舟に載せたまま再び岸を離れて行ってしまった。この先が浅瀬だからだろうか?もしかしてこの先に村があるのかな?さまざまな思いを巡らせながら砂漠と草がぼーぼーに生えた道を歩いた。20分ぐらいして、舟が待機している岸についた。靴を脱ぎ、再び舟に乗り込むと、舟はゆっくりと岸を離れた。やっぱ浅瀬だったからだろうか?

そこから舟を走らせること約30分、前方にバンガロー幾つも立ち並ぶ小さな村が見えた。ムアングノイだ。「いよいよ来たのか。」私の気持ちは明らかに高まっていた。

舟が着岸すると、大勢の子供たちが集まってきた。中にはすっぽんぽんの男の子もいる。荷物を背負うと、私は村の奥の方へと歩き出した。以前ドン・デットで知り合ったイスラエル人の女の子に、「ムアングノイへ行くのなら、道のはずれにあるバンガローのゲストハウスがいいわよ。」っと薦められていたので、私はそれを目掛けて歩き出した。ムアングノイの小さなメインストリートを歩いていると、男の子が付いて来た。「ゲストハウスを見に来てくれ」彼はそういっていた。特に当てもなかったので、私は彼の後についてゆくことにした。すると、彼が案内してくれたところはTALEE Guest Houseというところで、山と川が一望できるバンガローだった。私はその展望の素晴らしさに一目惚れしてしまい、ここに滞在することを決めた。

荷物を置くと、私はすぐにハンモックに身を収め、ゆっくりと景色を堪能した。夕日が山の中へ吸い込まれてゆく。あぁ、なんて素敵な景色なんだろう。「この景色を2日間も自分ひとり占めできるなんて、贅沢やなぁ」そう思うと、顔がにやけてきてしまった。川と空がオレンジ色に染まった景色を見て思った。『ここは日本の景色と似ている。』青々とした山があり、その下には渓流がある。日本と瓜二つの展望だからこそ、ノスタルジックな感じに浸ったてしまうのかもしれない。

日本を彷彿させるムアングノイ。
日本を彷彿させるムアングノイ。

メインストリート。
メインストリート。

水シャワーを浴び、再びハンモックの中に揺られていると、この宿の女の子たち3人組がやってきた。うちのそばで椅子や手すりに腰掛け、様子を伺っている。ん?なんなんだろう?緊張しつつも、私は彼女たちと会話を始めた。しかし彼女たちは英語をあまり話せなかったので、うちは拙いラオス語と絵文字で意思疎通を試みた。彼女たちの名前はNAちゃん(13)、TALEEちゃん(8)、NAHNちゃん(6)だった。NAちゃん少しシャイな感じの女の子で、TALEEちゃんは英語を達者に話す女の子。NAHNちゃんは無口だけど、神秘的な目をしている美人さんだった。家族の紹介をしてくれたところ、この宿は二つの家族で経営されていることがわかった。一つはRE(20歳・男)、BE(15歳・男)、NA(13歳・女)、TALEE(8歳・女)、AI(6歳・男)の5兄弟の家族、そしてもう一つはPER(16歳・男)、SONPE(15歳・女)、KUM(8歳・男)、NAHN(6歳・女)がいる、4人兄弟の家族だった。彼らは親戚同士らしく、ゲストハウスの名前はTALEEちゃんの名前を取ってつけたらしかった。色々な話をしながら、NAちゃんはバンガローの手すりの木をごりごりと削っている。おいおい、それはいいのか?!TALEEちゃんはイモのようなものを一生懸命食っており、NAHNちゃんはじーっと見つめてくる。う〜、楽しいけど、会話って難しいなぁ。

日が落ちて、辺りが暗闇に包まれると、急に肌寒くなってきた。私は宿併設のレストランへ行くと、野菜カレーともち米を頼んだ。私と一緒にレストランへ付いて来たNAちゃんはうちの前の椅子に腰掛け、一冊のノートを見せてくれた。それは現在彼女が学校で勉強している英語のノートであった。まだ習い始めたばかりのようで、数字や曜日の英語が拙い文字で書かれている。私は彼女に付き添って、少し英語を教えてあげた。そんな時、料理が到着した。見てびっくりした。野菜カレーなのに中にはキャベツしか入ってない。でもって、米、多すぎ。3人前ぐらいはあるんですけどぉ・・・?案の定米をすべて食べきることができず、私はテイクアウトをお願いした。すると、女性の方は律儀にも中位の大きさのもち米入れに入れてくれた。嬉しいな。うちは米入れを右脇に大事そうにかかえて、バンガローへ戻った。

ここはドン・デットと違い、バンガローには電球が備え付けられていた。でも白熱灯ではなく蛍光灯だったので、少し味気なく思った私は、昨日ルアンバパーンで買った赤い丸いちょうちんをぶら下げて見た。なかなか雰囲気があっていいじゃないの。一人満足する。ハンモックに腰掛け、空を眺めた。でも光が邪魔で見えん。せっかくの光を消して、私は再び空を見上げた。空には満天の星が広がっており、小さな星までもぎらぎらと輝いた。耳を澄ますと、さまざまな種類の虫の音が聞こえる。でも実際聞こえているのはほんの一部の虫の音に過ぎないんだろうなぁ。そんなことを思いながら、私は豊かな自然の中でハンモックに揺られた。

うとうとしかけたころ、また女の子三人組みとSONPEさんがやってきた。TALEEちゃんはまたもや芋を食っており、私が「あなたまた食べているわね。」っと日本語で話すと、おすそ分けしてくれた。この芋はマークマントンというらしく、淡白なお味だった。んー、いまいち。先ほどに引き続き、ラオス語と日本語と英語の混じった会話レッスンが再開された。うちは絵を描き、そのラオス語を聞く。すると彼女たちは答え、逆に日本語を聞いてきた。そんな感じで繰り返され、いくつかの言葉を覚えることができた。そして、TALEEちゃんが「明日CAVEと小さな村へ遊びに行こうよ。」っと言ってきた。おお、洞窟と村があるのか。知らなかった。ということで、明日の午後連れて行ってもらうことになった。

時計の針が10時を指すころ、気温はかなり低くなっていた。寒い!雪 ベットの上に布団と毛布の二つが置かれている意味が、ようやく理解できた。宿の子供たちの暖かい歓迎に私はすっかり心うたれ、私は「ムアングノイにきてよかった。」っと心底思った。バンガローの中の蚊帳を降ろすと、泥のように眠った。
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【ラオス】物思いに耽る。 (ルアンバパーン)

2005.03.09 Wednesday

時計を見たら9時だった。ちょっと頭がボーっとする。これでバス乗ったら、車酔いしそうだ。

でも不思議とおなかはちゃんと空いているので、朝は昨日と同じメコン川沿いのレストランで朝食をとることにした。今回うちが注文したのはツナサンドイッチ。$1もするので、どんなんが出てくるんだろう?っとうきうきで想像してたら、そのサイズに完全ノックアウトされた。でっかいフランスパン一本に、ツナとトマト、そしてきゅうりが入っている。朝からこれを一本全部食べる人は、よっぽどでかい人か、胃袋がでっかい人でないとありえない。がんばって半分食べたが案の定おなかは一杯になってしまったので、半分は持って帰ることにした。

食後は昨日出来なかった両替と、インターネットをしに行った。大してやることもなかったので、自転車借りて遠くの市場まで行こうかと考えたが、あまりの暑さに断念することにした。そしてメコン川沿いの堤防に行き、日陰に腰掛けると作詞したり、物思いに耽った。昔あったこと、そしてこれからのことなど、さまざまなことが頭の中を駆け巡った。ゆっくりと思いを巡らすのは、実にいいもんだ。作詞の方はあまり進まなかったのだが、代わりに3つぐらい曲をまた思いついてしまった。曲は簡単に思いつくのに、ほんと歌詞がついていかないから、困ったもんだ。

キレイな花。
キレイな花。

防波堤からの絶景。
防波堤からの絶景。

宿に戻ると、ルン君が学校から帰宅していた。しかし、なんだか忙しそう。ロビーにはオーナーらしき女の人が寝そべっており、彼に何か言っているようだった。『これじゃ教えられないだろうな』っと思い、一人部屋に戻る。

あっという間に夕方になり、私はまたナイトバザールへ出かけることにした。今日は昨日に比べて店も多く、活気に溢れていた。やっぱり何度来ても気分がいいもんだ。毎日がまるで縁日のようで、祭り好きの私としてはたまらなく楽しかった。そして今日も買い物をしてしまった。買ったのは赤い糸で編まれたちょうちんと和紙が張られた行燈。両方で約400円だった。これをどこに置こうか全く検討がつかないけれども、気にいてしまったのでしかたがない。後でどこに置こうか、悩みそう(笑)

宿に帰ったらルン君が玄関で小さくなって座っていた。どうもひどい二日酔いらしい。あれま。確かにちょっと顔色が悪い。「日本語教えようか?」っと言ったらあまり返事がかんばしくなかった。どうも本気で体調がよくないらしい。

そんなこんなで、結局もう一日居たのだけれども日本語を教えることなく、この日は終わったのでした。明日は気持ちを切り替えて、移動しますぞ!

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【ラオス】なんとクラブへ行く。 (ルアンバパーン)

2005.03.08 Tuesday

今朝は5時半に起きた。なんでこんなに早起きをしたかっというと、それは朝6:00〜6:30にかけて僧侶が人々の喜捨を求めて歩く、托鉢を見るためである。以前タイを旅行したときにも、人々が僧侶に食べ物を与えることを見たことがあるが、ここルアンバパーンでは僧侶の数が他の町と比べて大変多く、一見の価値があるということで、眠たい体をがんばって起こし、伊衛門姉さんと一緒に町へ繰り出した。

托鉢がどの辺りで見られるかわからなかったが、私たちはひとまず昨日あるいたシーサワンヴァン通りを目指した。すると天秤を持った2人組のおばさんが駆け寄ってきた。そして竹で包まれたもち米のようなものを私たちの前に差し出し、「僧侶へ渡すのよ。」っという感じの仕草をした。おお、これがガイドブックに書いてあった喜捨グッズなのか。値段を聞いたら$1と言ってた。高い!私たちは「買わない」という意思表示をすると、値段がすぐに半額になった。ラオスの商売人はどの人たちも一緒のようで、言い値で納得しなかったらすぐ値下げをしてくれる。でも、私たちは買う気がなかったので、そのまま素通りすることにした。一人のおばちゃんはあっさりと去っていったものの、一人のおばちゃんは200mぐらいしつこく金魚のふんのようにくっついてきた。

托鉢の様子。
托鉢の様子。

ルアンバパーンの町の中心にはプーシーという小高い丘があるのだが、私たちはその前にあるワット・マイという寺院で僧侶たちを行列を待つことにした。寺院の前には茣蓙を敷いて、もち米入れを片手に持ったラオス人が待機している。そして、それを囲むように喜捨グッズやカメラを片手にした外国人観光客が今か、今か、と僧侶たちの登場を待ちわびていた。6時20分頃、人々のどよめきが聞こえた。目をやってみると、鉢を片手に抱えた僧侶たちがずらずらと寺院の中から出てきているところだった。茣蓙に座っている一人のラオス人おばあちゃんはあわただしく姿勢をただし、自分のお櫃にあるご飯から少量とると、僧侶一人一人のお鉢に丁寧に入れていた。食事をもらった僧侶たちは、さらに喜捨を求めるためか、道の向こうの方へ歩いていった。

托鉢終了後の道は静か。
托鉢終了後の道は静か。

このとき事件が発生した。私は喜捨の様子を写真に撮ろうと、カメラを構えたのだが、おかしいことにカメラのズームが動かない。「あれ?あれ?」っとカメラをいじっていたら、シャッターチャンスを逃してしまった。どうもズームをする部分のプラスチックの一部が破損してしまっているようだった。昨日買い物中に、うっかり転んでしりもちをついてしまったのだが、もしかしてその時に壊れてしまったのかもしれない。私はショックを隠しきれなかった。でも、レンズを前、後ろに動かしたらなんとか動いた。破損したであろうプラスチックが中でつっかえているせいか、最大ズームまではいかないのものの、まだ使えるようだった。

「完全にシャッターチャンスを逃してしまった・・・」せっかく早起きをしたのに写真もとれず、ましてやカメラが壊れたことに私はがっくりとしていた。しかし、周りの茣蓙を敷いた人たちを見ると、その場所を離れようとしない。「なぜだろう?」そう思いながらも、私もそこに居続けた。すると先ほど町へ繰り出した僧侶たちが、お鉢を手に持ち、寺院に舞い戻ってきたのと入れ替わりに、また別の僧侶の列が出てきた。今回出てきた僧侶たちは先ほどの僧侶たちと違い、眩しいオレンジ色の袈裟を着ており、年齢層も若い。まだ小学生ぐらいの少年もいた。私はこのチャンスを逃すまい、とシャッターを切った。先ほどの時よりも太陽が高く昇っているので、いい写真が撮れたかもしれない(^^)。僧侶の波が消えると、おばさんたちは茣蓙を片付け、帰路についた。

その後、伊衛門姉さんと「今日どうしましょう?」っという話をしていると、彼女は昨日の宿がうるさかったので宿を移動すること考えており、また今日は一人で自由に行動したいとのことだった。私も同じようなことを考えていたので、「一緒に探しますか?」っと試しに聞くと、彼女は「今から自由に一人で探したい・・・。」っと言ってきた。私自身も正直言うと、彼女とは「あまり気が合わないかなぁ・・・」と思っていたので、ここでお互いの健闘を祈り、私は彼女と別れて一人で宿に戻った。

部屋に帰り、荷物を詰めると私は宿のお兄ちゃんに鍵を渡した。さて、これから宿探しだ。特に目的の宿はなかったので、私は宿を出るとまず左に曲がった。とにかく左の道沿いを狙って見よう。しかし、行く宿行く宿どこも大体$7で、「ちょっと外見が素敵だわ。」っと思えたところに聞いてみると、平気で「$25」とかいう返事が返ってくる。おそろしや、とても手が出ない。ルアンバパーンの宿は他の町に比べてえらい高い気がする。さすが一大観光地というだけあって、値段も高いのだろう。うちはさらにはメコン川沿いの道路まで足を伸ばして見たが、安い$4の宿はすべて埋まっているようだった。「あぁ」っと諦めかけたころ、一軒の宿に入ってみたら今日$4の部屋が空く予定だといわれた。これはラッキー!お兄さんの対応もいい感じ。「大体9時ぐらいに来てくれ」っとふと時計を見たとき、彼は「オー マイ ゴット!!」っと叫びだした。おい、なんだ、なんだ。時計は8時を指している。どうも彼は現在$4の部屋に泊まっている人を7時に起こす約束をしていたらしい。大慌てで起こしにいく。なんかその光景がかわいらしかった。

肝心の部屋は確認していないものの、他の空き部屋の雰囲気と水場を見たら昨日の宿よりもずいぶんよかったので、ここは宿探しを中断して朝食をとる事にした。メコン川沿いのレストランを当たってみるが、どうしてこうみんな高いのだ?しかし探してみれば安いところも世の中みつかるもので、今日はパンとオムレット付きで12000kipの朝食があった。早速頼んでみると、出てきた朝食はものすごいボリュームだった。バケット1本にオムレツ、そしてフライドポテトがてんこ盛り。おいしいけど、食べ終わったころにはもう満腹中枢を刺激しまくりだった。

食後、宿に戻って部屋を確認した。狭いけど、清潔でいい感じ。今日はここに宿泊することにした。少し日記を書き、両替&近くを観光しに出かけようとしたら、フロントのルン君が「今日夜一緒にラオスのディスコにいかないか?」っと言ってきた。おお、ラオスのディスコか!こんな機会めったにないぞ、っと興味津々。でも本当に大丈夫だろうか?聞いてみるとラオスのディスコは夜の12時はしまってしまうので、行く時間は9時から11時半ぐらいまでとのこと。それなら少しいいかも?っと思い始める。「行く、行く!!」っと返事したものの、日本人の女の子が、ゲストハウスの兄ちゃんに誘われてろくでもない目にあったという話も聞くので、今日一日このルン君が本当に信用できる人かどうか見極めてから最終的に決めることした。まぁ、女の子ですから、物事慎重に、慎重に(笑)今のところ、彼はとても紳士的で、いい青年に見えます。ちなみに今日は「WOMEN'S DAY」なので、たくさんの人で溢れかえるだろうっていうことも教えてくれた。この「女性の日」とは、女性のラオス国民にとっては一日お休みという日らしく、この日ばかりは女性のほうが男性よりもえらくなるらしい。日本にもこういう日があってもいいのになぁ(笑)

銀行へ行ってみると、「今日はWOMEN'S DAYなので、お休みです。」という張り紙が張られていた。そして開くのは明日らしい。明日はノンキャウへ行くことを予定していたが、朝バスに乗る前に銀行へ寄る事になりそうだ。しかたなくうちは市内観光をすべく、街の中央にどーんとそびえたつプーシーという小高い丘の上にある寺院を目指すことにした。入場料10000kipを取られ、300段の階段を登ること約5分、すぐにてっぺんについた。朝方は冷えていて寒く感じたが、日中にもなるととても暑い。丘にたどり着くころには、額から汗が噴出していた。しばらく景色を楽しんでいると、一人のお坊さんが日本語で挨拶をしてきた。そしてその後、巧みな英語で色々と話しかけてくる。ボキャブラリーも豊富。彼の名前はギンジャ(20歳)といい、彼はここのワット・プーシーではなく、近くのワット・ターン・ノイというところで修行をしているらしい。彼は15歳のときに仏の道に入り、現在はMUNK(僧侶)ではなく、その下の位のNOVICEという地位の人らしい。へ〜。僧侶にも階級があるのね。彼は毎日学校で英語を勉強しているらしく、暇を見つけては観光客相手に英語力に磨きをかけているようだった。うちにはどうして僧侶がそんなに英語を学びたいのか理解できなかった。「どうして英語を勉強しているの?」っと聞いてみたら、「僕は将来ツアーガイドになりたいんだ。」っと言ってきた。この意外な答えに、うちは爆笑!!「僧侶じゃないのかね?!」っと思わず突っ込んだ。彼も笑った。もちろん、僧侶になってしまえばツアーガイドへの夢は断たれてしまうらしいが、NOVICEである彼はまた大丈夫らしかった。(本当かな?)写真をお願いしたとき、彼は手すりに腕を乗せ、ポーズをとってくれた。これがなんともきざで、笑えた。

英語ぺらぺらの僧侶
英語ぺらぺらの僧侶。

この後、少し遠くにあるマーケットまで自転車で行こうか、っとも思ったものの、なんだかめんどくさくなり、今日は街角でたくさん見かけるマッサージ屋さんの一つに入って、マッサージをしてもらうことにした。さまざまなコースがある中、うちは$4のラオスの伝統的なフットマッサージを選択することにした。足を洗い、優しい手つきでマッサージを始めた。もうちょっと強くやってもいいぞ、っと一人思いながらも、心地よくて少しうたた寝をしてしまった。足の筋肉を軽くほぐしたところで、女の人は木の棒のようなものを取り出した。形は日本で売られているつぼ押し棒みたいな感じで、先が丸く尖っており、横には溝が数本入っていた。その棒を使って彼女は足の指や、足の裏をぐりぐりし始めた。でも全然痛くない。心地よい刺激を受けながら、55分のコースはすぐに終了した。

気分がすっきりしたところで、うちは宿にもどり、のんびりした。そして夕方はこれまたナイトバザールにお出かけすることにした。夕食は昨日と同じでぶかっけご飯を食べたが、今日は昨日のおばあさんの屋台が出ていなかった。よく見ると昨日よりも屋台の数が少ない。きっとWOMEN'S DAYの影響ですね。今日はなぜかこの屋台街には、日本人がたくさんいてびっくりした。それぞれ4人ぐらいずつののグループなのだろうが、こんなに固まるとなんだか異様だ。食事を済ますと、すぐさまそこを後にした。

ナイトバザールも昨日と違い、空き地が目立った。それもこれも、今日がWOMEN'S DAYだからだろう。私はお土産用のスカーフを数点、そしてでっかい貝のトップが付いたビーズのネックレスを購入すると、満足気に宿へ帰った。宿に帰るとルン君とその友達らしい人がロビーでたむろしていた。「この人たちも一緒に行くのかな?じゃぁ安心だな。」っと内心思っていたら、ルン君が駆け寄って来て、「ナイス ネックレス!!!」っと褒め称えてくれた。あまりのオーバーリアクションに、こちらはちょっとひいた。

風呂に入り、部屋でぬぼーっとしていると、部屋のノックが聞こえた。時間を気にしていなかったのだが、もう9時半になっていたらしい。あわてて用意をし、外に出てみるとルン君の友達の人に「今日はどこへ行くんだい?」っと聞かれた。え?兄さんは行かないのかな?そう思いつつ、うちはルン君に連れられるまま、ナイトバザールがあるほうへ歩き出した。どこへ行くのか全く検討がつかない。そして彼は一台のトゥクトゥクに声をかけ、交渉し始めた。どうもここから少し離れたところにディスコはあるらしい。肌寒い夜の中、トゥクトゥクのうるさいエンジン音に耳を奪われながら、二人はディスコに向かった。このトゥクトゥク、ブレーキをかけるとき妙な高音が鳴ってちょっと心配だったが、どうにか大丈夫だった。途中、ルン君が自分が着ていた上着を貸してくれた。おお、紳士的ではないか。そう思いつつも、うちは大丈夫だったので、丁重に断わった。ある交差点に差し掛かったとき、一台のバイクが追い越していった。それを見て、ルン君は嬉しそうに「レディーボーイ!ベリーセクシー!!」っと言っていた。そう、おかまさんです。ラオスにも結構多いらしい。ルン君に「レディーボーイ好き?」って聞いたら、「大嫌い!!」っと言ってた。以前レディボーイを自転車の後ろに乗せたら体をなめるように触られ、こけて肘をすりむいたらしい。

トゥクトゥクはネオンがぎらぎらと輝く店の前に到着した。そう、これがラオスのディスコです。手前にある駐車場はバイクと人で埋め尽くされており、溢れ出たバイクは道の外で待機していた。ルン君曰く、ここはルアンバパーンでナンバーワンのディスコらしいが、いつもよりも数倍も賑わっているとのことだった。

二人でチケットを購入し、中へ入った。チケットは一人15000kipでビール一本付きと、かなり安い。今日はWOMEN'S DAYということで、女の子はタダだったみたいだけど、うちは外国人ということで有料になっていた。さておき、中に入ると溢れんばかりの人たちが店内をうろちょろしており、中央のステージでは女性ボーカルのバンドが大音量で演奏していた。ステージの前にはダンスフロアーがあり、それを囲むようにしてテーブルと椅子、そしてまるでキャバクラのようなソファーが置かれている。店内はブラックライトであるため、白い服を着た人はぼわぁっと浮かびあがっており、また壁になぜかある「Happy New Year」「Merry X'mas」の文字も同じくブラックライトの効果で無意味にぼわぁっと浮かびあがっている。なかなか楽しい装飾だ。若い男の子と女の子が多いが、小さな子供や年配の方もちらほら見える。すでに多くの人たちが思い思いに腰掛け、楽しんでいた。とにかく中は人、人、人だった。

「Happy New Year」「Merry Xmas」の文字
「Happy New Year」「Merry X'mas」の文字。

ルン君は席を探しにあちこちを見回っていたが、私たちが来た時間が遅かったらしく、どこも満席で見つけられずあせっているようだった。しかし、幸運なことに、優しいラオス人の兄ちゃんが、友達のためにとっておいたであろう席を特別に譲ってくれた。感謝、感謝!この優しいお兄さんと乾杯し、しばらくルン君と話をした。彼は22歳の現役大学生。朝の7時半から11時まで学校に通っており、午後は宿で受付係として夜遅くまで働いているとのことだった。(ちなみに今日はWOMEN'S DAYで学校が休みだったらしい。)将来はツアーガイドになりたいそうで、そのために今は勉強したくてしかたがないらしい。ものすごい忙しい毎日を送っているんだなぁ。

話している途中で、ルン君が「これはラオスの伝統音楽だから、踊りに行こう!」と言うもんで、急遽フロアーに行くことになった。伝統舞踊っと言っても、みなさんはゆっくりと手をまるでカチャーシー(沖縄の踊り)のように動かしているもので、足のステップは何もなく、実に簡単。音楽が大音量でガンガン流れているのにもかかわらず、踊る人の動きはとってもゆったりとしたものなので、とても変な感じがして終始笑いが絶えなかった。

それからディスコサウンドになり、うきうき気分で踊った。ルン君も上機嫌で、時々両手の人差し指を上に向け、変な動きをしている。これは何か意味あるのであろうか?気づけばフロアーは人、人、人で溢れていた。注意をしないとすぐ隣の人にぶつかってしまう。周りにはラオス人以外にも、外国人の方も多数踊っている。とてもいい雰囲気で私はすごく気に入ってしまった。気持ちよく音楽に身をゆだねている途中、テーブルでお酒を飲んでいたお兄さんに声をかけられた。「君はカンボジア人かい?」暗闇で見えないので、私がカンボジア人に見えたらしい。「いや、日本人よ。」って言うと、「君の踊りはとてもセクシーだ。」っと言われた。ははは!!これには大爆笑。楽しい

ディスコも終盤を迎えつつあるころ、レディーボーイたちがステージに上がって歌い始めた。う〜ん、歌がわからないけれども、音痴だと思う(笑)一人はマリリンモンローのように金髪のかつらを被っており、服も黒いぴちぴちのワンピースを身に着けている。いやぁ、実にセクシーだ。そういえばトイレに行ったら、レディーボーイたちがぞろぞろと出てきた。「身も心も女なのね」、っと妙に納得してしまった。

レディボーイ。
レディボーイ。

私が明日ノンキャウへ出発することを知ったルン君は「明日もう一日だけ居てくれ〜!」っと言い出した。「いや、そういわれてもね・・・」一人渋る。せっかく仲良くなったし、時間があったらもう一日いてもいいと思ったが、うちはタイに18日までに戻れるかどうか心配だったので、ここはきっぱり返事をした。「明日出発しないと、間に合わないかもしれないのよ。」それでも彼はうちにしきりにもう一日ルアンバパーンに滞在するよう、説得してきた。「明日、是非日本語教えてほしんだ。」その言葉を聞いて、ちょっとうちは迷った。『まぁ、今日ディスコにつれてきてくれたし、明日起きれるかわからないし、恩返しのために日本語一日教えるか・・・』ってなことで、もう一日ルアンバパーンに滞在することになってしまった。明日は何をしたらええやろう?

宿に戻ったのは12時を過ぎていた。ルン君はかなり酔っ払っているようで、「君の部屋で寝ていいか?」っと妙なことを言ってくる。はいはい、勝手に言ってなさい。そう思いながらも、返事をする。「駄目だ。」「なんで駄目なんだ。」いや、あんたが寝たら私の寝る場所がなくなるじゃない。「あなたの寝床はあちら。」っとフロント横のベットを指差すと、私はさっさと部屋に戻った。久々にたくさんお酒を飲んだので、よっぱらったわ・・・。
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【ラオス】心も躍るナイトバザール (バンビエン〜ルアンバパーン)

2005.03.07 Monday

今日は移動だ。9時半に昨日チケットを予約したツーリストオフィス前に行くと、一台のトゥクトゥクが止っていた。うちはトゥクトゥクに乗り込むと、伊衛門お姉さんの来るのを待った。しかし5分経っても彼女は現れない。大丈夫だろうか・・・・?っと思い、彼女が来るほうの道を見てみたが、その様子が見えない。しかし、トゥクトゥクの場所に戻ってみると、彼女は立っていた。どうも銀行で両替していたらしい。ほっと一安心。

トゥクトゥクで目指したのは元米軍基地のバスターミナルであった。乗った時間約2分。歩いても5分ぐらいなのにね。バスに乗っていた多くは観光客であり、まだ席がぽつぽつと空いていたので、私は揺れに備えて前の方の席を確保した。10時出発のバスであったが、案の定乗客をみな乗せ、出発したのは10時40分ぐらいであった。今日も通路にはプラスチックの椅子が並んでいる。

元米軍基地のバスターミナル
元米軍基地のバスターミナル。

バンビエンを出発してしばらくは揺れも少ない平坦な道であったが、2時間もするとバスは深い山の中に突入し、緩やかな上り坂を、ゆったりとしたスピードで走っていった。スピードがそんなに出ていないので、隣に座っている伊衛門姉さんと一緒にお話を楽しんだ。彼女はどちらかというと「普通のお姉さん」っていう感じだが、かなりのマイペースの人間な印象を受けた。話ししたときの印象だけですけどね。後、どこかスキを感じる。以前タイでは日本人のお兄さんに襲われそうになったり、同じくタイで宿のお兄さんに「XXまで乗せて行ってあげる。」という言葉を信じて乗ったらえらい目にあったり、銀行でお金を受け取ったときに確かめなくてよく見てみたらお札が1枚少なかったり&破れていたり、宝石を買い込んだらぼられたり、というさまざまな体験談を自ら話してくれたのだが、こういっては失礼だが、「う〜、あぁ、なんかわかる」ような気がした。うちはよく「スキがない」っと言われる人間なだけに、なんだか自分とは全く別のフィールドの人だと思った。いい人なんだけどね。

気づくとバスはかなり標高の高い山道を走っていた。そして突然、スピードを上げた。下りが始まったのだ。バスが左右に揺れ、そのたび体も左右に振られる。車酔いする人が続出するということを聞いたことがあるが、これなら納得だ。まだこの運ちゃんは比較的スピードを落として走っていると思われたが、これがスピード狂の運ちゃんに当たった場合たまったもんじゃないですな。バンビエンとルアンパバーンをつなぐこの道は国道13号線と呼ばれるのだが、実はこの道、武装強盗グループが出没することで有名なところなのです。2年前にはスイスの旅行者2名、そしてラオス人が5名武装グループに襲撃され、命を落としてしまった悲しい事件起こっており、以後もそのような事件が報告されているという。人伝いに話を聞いたことがあったが、伊衛門姉さんの持っている地球の歩き方を再度読んでみると、私は恐怖を覚えてしまった。ここ最近そういった襲撃の話はなく、私が出会った旅行者たちも何もない様子で旅を続けていたが、今自分がまさにその道を通るとなると身構えてしまう。かといって、身構えてもどうにもならないのだが。

そんな不安もどこへやら、6時間の半のドライブを経てバスは無事ルアンバパーンのバスターミナルに到着した。うちはトゥクトゥクに乗り込むと、以前ドン・デットで知り合ったドレッド兄ちゃん推薦の宿に行くことにした。案内された2人部屋はタイル張りでめちゃめちゃ広く、机と椅子も設けられているのだが、水場の老朽化が進んでおり、気になる。しかし、値段を$7から$6に値下げてもらったので、今日は伊衛門姉さんと一緒にここに宿泊することにした。

少し休むと、私たちは夜のナイトバザールに繰り出した。夜6時になるとルアンバパーンのメインストリートといわれるシーサワンヴァン通りには多くの露店が並び、パッチワークの商品やスカーフ、行燈などのお土産にもってこいの商品がずらっと広げられる。ナイトザールに目を通す前に、私たちは一つの狭い路地に入った。電球を屋根からぶら下げた屋台には主にが惣菜を売っており、それを買う人の波で狭い道は活気に溢れかえっていた。少し先に行くと、一皿なんでも盛って5000kipという屋台を見つけた。これは安い!ベジタリアンのお店ということだけあって、種類はかぼちゃの煮物や、野菜の炒め物、など野菜のお惣菜ばかりなのであるが、どれもこれもおいしそう。惣菜で盛られたお皿を屋台のおばさんに渡すと、おばさんはフライパンの中にそれらをほおりこみ(これって関西弁?)、まるで魔女のように混ぜ混ぜしはじめた。あぁ!味もちゃんぽんされますのね・・・。暖められた食事は、それはそれはおいしいものだった。味が混ざっていてどれがどの味かさっぱりわからないが、これはこれでいい。もぐもぐとパイナップルシェークを飲みながら、夜の食事を楽しんだ。

川に沈む夕日。
川に沈む夕日。

お惣菜がいっぱい。
お惣菜がいっぱい。

さて、いよいよナイトバザールである。ラオスの伝統的な柄が入ったシルクスカーフ、渦巻きの柄が入ったパッチワークの枕カバー、ラオスのTシャツ・・・・。似たような商品を扱っている露店がひたすら並ぶのだが、歩いていても全く飽きない。時折立ち止まり、商品を手にとって見る。白熱灯の電球一つで商品を照らしているので、シルクスカーフなんて高級品に見えてくる。おそろしや。面白かったのは、どこの店の「お姉さん、あなただけにスペシャルディスカウントしましょう。あなたはラッキーね」っと英語で言ってくるところ。商売上手なんだか、そうでないんだか・・・。どうもそういう言葉を言われるたびに購買力が低下してしまう、わたくし。

結局その日はパッチワークの小物入れしか買わなかったが、ショッピングはとても楽しいものだった。売り子の人たちはみなさん控えめに「サバディー」っと声をかけてくれるのだが、その返事をするのが全く苦にならない。伊衛門姉さんは、いつの間にかちょうちんを3個も購入していた。そして彼女は、ここのナイトバザールの安さに、とてもショックを受けていた。ビエンチャンでお土産用に、と一個$25もするオーダーメイドのバッグを5つも購入したらしいのだが、「そのお金をここで使ったらどれだけかばんを買うことができただろう・・・。あぁ、ほんとしくった!!」っと言っていた。それにバンビエンでも同じようなちょうちんを購入したのだが、ここの値の3倍だったという。残念な気持ちはわかるが、こればかりは自業自得なので、私は返す言葉がなかった。

宿に戻ったのは10時前だった。しかし、部屋の外がやたらうるさい。部屋は道路に面しているのだが、すぐ部屋の横にはこの宿のオーナーと思われる人の家があり、テレビの音が聞こえてくる。そして、2階には杯を交わしていると思われる西洋人の旅行者が大声で会話をしていた。二人が眠りについた12時までその声は納まることなく、私は耳を塞いだ。「なんてうるさい宿なんだ。」そう思いながらいつの間にか眠っていた。zzz
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【ラオス】サイクリングを楽しむ (バンビエン)

2005.03.06 Sunday

毛布をかけて寝たが、とても寒く感じられた。徐々に北上しているため、気温も下がってきたのかもしれない。

今日は昨日と違い、太陽が顔を出していた。気温は思ったよりも暖かくないけれども、日本の秋のように快適な気温だった。パンとバターという簡単な朝食を済ませると、うちは町の散策に出かけた。地球の歩き方を元に、市場をまず目指してみたが、市場などどこにも見当たらなかった。広い空き地だけが残っており、幼い子供が遊んでいる。場所が移ったのかもしれない。

そのまま道沿いを歩き、少し坂を下ると高級そうなゲストハウスと木で出来た橋が川に渡されてあった。橋の向こう側には大きな岩がどーんとそびえたっており、私は特に何も考えることなく目の前にあった橋を渡った。向こう岸に渡るとトゥクトゥクではなく、農作業に使うトラクターに乗ったお兄ちゃんがいて、「プッカム洞窟へ行かないか?」っと誘ってきた。どうやらここから6キロ先にはプッカム洞窟というところがあるらしい。どういうところかさっぱりわからないけれども、「グッド?」って聞くと、「グッド!」っと言ってきたので、行ってみようかな、っと思い立つ。でもトラクターで行くと往復$4もかかっちゃうので、その場では返事を保留にしておいた。

橋。
橋。

トラクター
こんなトラクターが普通に走ってる。

そこから少し歩くと、レンタル自転車屋さんがあった。値段を聞くと、一日レンタルで「$1」と言われたので、うちはのんびりと自転車でプッカム洞窟へ向かうことにした。

舗装されていない道は、小石が散らばっており、実に走りにくかった。途中坂もあり、アップダウンは激しくないものの、下りのときの振動で体がぶるぶる震えた。でも周りの開放的は景観を見ながらのサイクリングは実に楽しいものだった。山、民家、そして田んぼ。のどかだ〜。時折すれ違う人たちは笑顔を絶やさず「サバディー」っと声をかけてくれる。子供も少し照れながらもにこっと笑ってくれる。素朴な笑顔に、疲れもどっかへぶっとんでいってしまう。

途中、また木の橋が細い川に渡されてあった。渡ろうとしたら橋手前の売店の姉さんに止められ、「5000kip」っと、お金を求められていた。よく見てみたら橋の横には「Both Way : Person 2000kip, Bicycle 5000kip, Motorbike 6000kip」と書かれてある。通行料金を取るんだ〜!それにしても、5000kipとはよっと高すぎないか?そんなことを思いながらもしぶしぶ払う。

プッカム洞窟はそこからさらに2キロほど走ったところにあった。道がぼこぼこだったということもあり、全部で40分ぐらいかかってしまった。歩いてこの洞窟に向かってきている人もいたが、その人たちは片道どれぐらいの時間をかかるのだろう。1時間半ぐらいかなぁ?それにしても思ったよりも遠く感じられた。

チケットブースでチケットを購入し、洞窟のほうに向かう途中、真っ青な小川が流れていた。川の透明度は高く、中に泳いでいる魚や水草がはっきりと見ることができる。近くの木にはターザンロープのようなものがつけられており、ラオス人のお兄ちゃんがそれにぶら下がって楽しそうに遊んでいた。小川にかかる橋を渡り、少しいくと「To CAVE」の看板があった。その看板のあるほうに行ってみてびっくり、ものすごい急な斜面が待ち受けていた。穴の開いたごつごつとした岩をまるでロッククライミングのように上ってゆく。これがビーチサンダルとかだとちょっときついかもしれない。うちは足を滑らせないように、と思いながら慎重に足を運んだ。

真っ青な小川
真っ青な小川。

急な斜面を200mぐらいあがったところに、目的のプッカム洞窟があった。洞窟の中はひんやりとしていて、天井には立派な鍾乳洞が連なっていた。そして少し奥に行ってみると、金色のブッタが屋根の下で寝そべっていた。ここは何か神聖な場所なのだろうか?この洞窟自体の規模は小さいものだが、何万年もの歳月を経て作られた鍾乳洞は実に美しかった。

洞窟の中
洞窟の中。

金色のブッタ
金色のブッタ。

足元に注意しながら下り、うちは川沿いの売店でパイナップルシェークを頼んだ。うまい!今まで飲んできたパイナップルシェークの中で一番うまいかも。ドン・デットでもパイナップルシェークを頼んだことがあったが、パイナップルを使うのをケチっているせいか、もしくはパイナップル自体が甘くないせいか、水っぽくってあまりおいしくなかった。のどかな風景を堪能しながら、一人ちゅーちゅーとシェークを堪能した。

来た道をのんびりと走り、レンタサイクルを店に返してはじめに渡った木の橋を戻っていたら、橋の途中にある小屋でお姉さんに「MONEY!!」と叫ばれた。え?ここでもお金が必要なの?行きはとられなかったので、「ここの橋は徴収しないのね。」っと思っていたが、どうもちゃっかり徴収していたらしい。しかもここの橋は片道づつ2000kipも徴収していた。つまり往復だと4000kip。おお〜、高いね!ちょっとくやしかったので、このときは英語も出来ない日本人のふりをしてお姉さんを少し困らせた。もちろん、お金は払いましたけどね。

昼ごはんは「FRUIT SHAKE 3000kip」という看板があるところで食べることにした。大体ここら辺のシェークは大体5000Kipなので、実にお手ごろ価格。うちはチキンとパイナップルの炒め物(8000Kip)とご飯(3000Kip)を頼んだのだが、かなり量がおおいということでご飯付きで8000Kipにしてくれた。なんて良心的な店なんだろう!しかもめちゃおいしい。さらに食後にはフルーツがついていた。これで8000Kipなんて、絶対に安い。メニューの近くには日本人が書いた張り紙が置いてあったんだけど、そこには「ここのレストランはバンビエンで一番安くてうまい!しかもデザート付き!」っと書かれてあり、「その通り!」っと思ってしまった。

ここで食事をしているとき、一人の日本人のお姉さんがやってきた。手に伊衛門茶のペットボトルを持っていたので、日本人であることがすぐにわかった。彼女は先ほどバンビエンに到着したばかりで、全部で10日間の旅行の予定だと言う。驚いたことに、彼女はスーツケースで来ていた!いつもはバックパックなのだが、なぜか今回は「スーツケースで来たほうが楽かも?」っと思い、スーツケースで来たのだと言う。しかし道はぼこぼこ&砂利であるため、せっかくこの旅の為に買ったスーツケースはすでにぼろぼろ状態らしい。

食後はここのレストランの子供たちと一緒に写真を撮った。ここの子供たちは実にかわいい!少し照れながら「サバイディー」っと挨拶をしてくれた女の子なんて、とってもチャーミング!!!思わず写真をパシャリ。店のお姉さんもとっても美人だし優しい。バンビエンにもこんな暖かいレストランがあるんだ。なんだか嬉しかった。

レストランの子供たちとお姉さん
レストランの子供たちとお姉さん。

伊衛門姉さん(自分で勝手につけたニックネーム)と夜ごはん一緒に食べる約束をしたのち、うちは宿にもどってゆっくりすることした。朝からがんばって自転車こいで観光したし、ここら辺はあまり観光するところないし、昨日に引き続きぬぼーっと過ごした。

夜、伊衛門姉さんに会ったら、彼女も明日ルアンバパーンに行くことにしたらしい。ここバンビエンからはルアンバパーン行きの始発ローカルバスはないので、ローカルバスに乗ろうと思ったら、首都ビエンチャンから来たルアンバパーン行きのバスに乗らなければならない。っとなると、席が座れるか微妙。ルアンバパーンまで6時間かかることを考え、ここは素直にバンビエン発のVIPバス($6)を予約し、向かうことにした。

夜のバンビエンは、ネオン街に様変わりをしていた。レストランには色とりどりの電球がついていて、中では大音量のクラブミュージックが鳴り響き、欧米人がビールを片手に楽しそうに会話をしている。ここがラオスか、と一瞬疑いたくなる光景だった。レストランで食事を済ませたのち、ずらっと並ぶ屋台でバナナ&チョコレートパンケーキを頼んだ。昼間には一軒も出ていなかったのに、なぜか夜にやたらパンケーキ屋さんがあちらこちらに出現していた。どれも値段は一律の10000Kipと少し高いが、欲望に負けて注文してしまった。ここ最近、うちは「バナナ&チョコレートパンケーキ病」にかかっているようだ。ついつい甘いものに目がいってしまい、最終的にはバナナパンケーキを頼んでいる。あぁ、私って乙女・・・?なーんて思ったり。

注文すると、おばさんは丸めてあった生地を取り出し、薄く伸ばし始めた。生地は見る見る大きくなり、直径30cmぐらいになったところで、おばさんは生地を鉄鍋で焼き始めた。バナナを中央にならべ、HERSEY'Sのチョコレートシロップをかけて生地を折りたたむ。裏面には焦げ目がうっすらとついていて、実においしそうだ。これでお皿に盛って完成・・・・っかと思いきや、おばさんはさらにチョコレートシロップをてんこ盛りにかけ、コンデンスミルクとさらにはココアパウダーを降ってくれた。「うわぁ、甘そう。」思わず声に出てしまった。結果は予想通り、めちゃめちゃ甘かった!!!!でも生地はもちもちしていてそれはそれでよし。量が多かったので、最後の方はきつかった・・・。

バンビエンの空にも星がぽつぽつと輝いていた。でも地上が明るいためか、光が弱いように思えた。今日の夜は昨日と違い、少し暖かかった。
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プロフィール

名前:ひとみ
出身:大阪府
趣味:旅、曲作り。

自己紹介:
今まで訪れた国々はアメリカ、中国、インド、ペルー、ボリビア、チリ、タイ、ベトナム、ラオス、カンボジア、トルコ、エジプト、モロッコ。1ヶ月〜2ヶ月ぐらいかけて巡ってます。

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